SEEDS-net  vol.60
2006年9月 11日発行


そう、今日は9月11日。NYでテロがあった日ですね。こんな日に、このようなことを、ふと思うのです。「生きるって、すごいことなんだよね」と。生きていられるからこそ、僕らはスポーツなどの、色々なことができるんですよね。生きてることに乾杯しながら、今回のメルマガをお楽しみください。

<もくじ>

ひとから見るスポーツ NPO法人バレーボール・モントリオール会 白井貴子さん
マイレポート 屋久島一人旅から考える"環境×スポーツ"
マイレポート 〜日本は不思議な国である〜
Shino’s works プロパガンダ

++ ひとから見るスポーツ ++ NPO法人バレーボール・モントリオール会 白井貴子さん
今週から二回にわたってお届けするのは、1976年モントリオール五輪のバレーボール競技で金メダリストとなり、今年そのモントリオール五輪で金メダルに輝いた女子バレーボール日本代表のメンバーが集結したNPO法人「バレーボール・モントリオール会」において副理事となった白井(現:高木)貴子さんのインタビューです。
今回は白井さんがバレーに出会い、オリンピックを経験し引退するまでをお送りします。



1952年岡山で生まれました。生まれた時の体重は母が言うには、4kg近くあったそうです。父も母も大きいですよ、DNAなのかな。
12歳の時に東京オリンピックがありました。それが、私が始めてバレーボールを見たときかな。バレーだけはやりたくないな、と思ったのも正直なところです。なぜかって言うと、日本が優勝して盛り上がってるときに、負けた国の選手は帰国した後どういうことをされちゃうんだろう、ってまず考えてしまったんです。団体スポーツよりは個人の方がいい、もし自分がスポーツをやるんであればね。それがバレーを分析した、一番最初の私のバレー観なんです。
それから中学校に入ったときの身長が158cm。決して大きくはないけど小さくもない。どちらかと言われれば大きいけど、1m70あったとか、そういうのではなかったです。何かしらの部活に入らなきゃいけないということで、私は絵を描くことが大好きだったので美術部に入りました。それと平行してテニス部。卓球をやりたかったけれども卓球部がなかったんでテニス部にしたんです。卓球もテニスも完全に個人でやれるということで選んだんです。でも一年間バレーをやらないかという、バレー部の顧問から声はかかっていました。やっぱり大きいからということでね。でもいろんな理由を言って断っていました。“あぁ来たか、来たか”とか思いながらも。昔はクラブ活動って、女性がそんなにバタバタとやるような時代じゃなかったんです。それでバスケットの隣にバレー部があって、なんか円陣でパスをやってて、“何が楽しいんだろうな”っていう風にしか感じない世界だったんです。

美術部とテニス部と平行してた中で、きっとバレーの顧問とテニス部の顧問の先生の間で何か密約があったんでしょうね。2年生の時に、「テニスに身長はいらないよ」と言われました。私は2年生の夏に168cmくらいになってたのかな、一年くらいで10pくらい伸びていました。そんなに言ってくださるんだったら、ちょっとやってみようかな、と。それから14歳っていうのは女性として、将来自分がどうなっていくんだろうなんて考えてしまう時期で、バレーやったから背が伸びたんだっていう言い訳も必要かなとか、本当に大きい人じゃないとわからない苦しさのような思いもありました。
「でかいね、でかいね」ってのを14年間言われ続けて、こんなに一生懸命言ってもらえるんだから、一度ちょっとやってみようかな、そう思って入ったのがバレーをやるきっかけです。だからものすごく自分が“やりたい!!”って思って入ったわけではないから、とっても新鮮で“えぇ、意外と面白いね?!”っていう感じでした。顧問の先生がとってもユニークな先生で、バレーなんか全然やったことがなくて、ルールブック見ながらやっていました。私はというと、ポンッと何も出来ないけど一番背が高いっていう感じで。
最初なにをしたかというと、「あなたは何もできないからブロックの練習しなさい」でした。“えぇー!!何、ブロックって?”って、それこそブロックだってできませんよね。運動なんてやっていなかったようなもんでしたから、それまで。それでも、練習をしながらみんなやってるのを見て、“わぁ、早くみんなと同じのやりたい!やりたい!”って思うようになっていきました。

今でも、小・中学生に私がやった練習でやってあげたいなっていう練習方法があるんです。それは、私が「バレーボールって笛が鳴ったら何やる?」って言われ「はい、サーブです」、「そうだね。サーブ、レシーブだね。じゃあサーブの練習をしよう」。入るわけがないですよね。だってボールに触ったことない。「じゃあ3mから打ちなさい」と言われて、3mから打ってそれが入るようになると今度5m、7m、9mと距離を離していく。いきなり9mから打てって言われても、それは無理ですよ。だから先生の教え方っていうのはものすごく理論的だったと思います。自分がバレーをやってたコーチは、自分ができるからみんなできると思ってしまう。だけど、その顧問の先生はバレーをやったことがないから、いろいろ考えてくれて、サーブが入るようになったら今度サーブレシーブ、お前は背が高いんだからブロック、一番最後にアタック。打つ時にはある程度筋力が出来ている、もう本当に合理的な流れの練習法でした。
それから私が中学校で、バレーに出会えたことは大きかったですね。私が全日本で最後まで継続できたのは、中学校の時の楽しかったバレーが、“いつか出来るんだ!”って思って練習したから。だから中学校で楽しくなかったら私はやってなかったと思うんです。 “バレーっていうのは一人ではできない!”って中学のときに実感しました。バレーの何が素晴らしいかって言ったら、一人では絶対出来ないスポーツだから、みんなで助け合う。

私は自分の人生の中で、15歳の時にオリンピックで金メダル取りたい、取る!って思いました。そうすると、4年に一回だから12歳だったら16歳、16歳は無理だから20歳、第一の目標を20歳にしました。そうすると、今15歳だからこれから5年間どうするか、って逆算したんです。19歳ではこうなって、18では、17、16…ってやっていくと、ちゃんとした高校へ入って、ちゃんとした実業団に入ろう、それが私の最初の目標の立て方だったのかな。目標を立ててやるから、反対に目標がなくなった時に何やっていいのかわからないというのもある。だから私は2回オリンピック出たけど2回オリンピックが終わったら引退しちゃいました。目標立て、逆算で考えているから、目標に到達したら終わりだったんです。
私は、オリンピックを目標に立てたからその過程の中に世界選手権、ワールドカップ、アジア選手権にアジア大会があり、それから日本リーグがあり、春の大会があった。だから、それを消化していく。バレーボールっていうのは、ある程度の肉体で、鍛えれば誰でもできると思います。だけど、根性っていう言葉をよく使ったけど、根性じゃなくて、その人が持っている性格、要するに、自分を犠牲にして人のために動ける根性みたいな性格をもっているか、それがバレーボールだと思う。だから自分さえよければいい、自分さえ目立てばいい、ではだめですよね、やっぱり。
21歳で日立というチームに入りました。21歳で入ったから24歳までの3年間、やっぱり最初一年間はなかなか東京の言葉や食べ物に慣れなかったけど、あとの2年間は私の中で、ここでやらなきゃいけない、やるんだ!っていう、私のバレー人生の中で一番頑張った2年間でした。22歳を過ぎた世界選手権のあと、22、23,24歳が集大成だったかな。自分の中でも、練習はあんまり好きじゃないけど、そのときは人になんと言われても練習は頑張ったぞ、っていう自信はあります。たかだか12年のうちの2年くらいですが、その2年間で私は変わったと思うし、気持ちもプレー自体も変わっていたと思います。だから私を知っている昔の人は、「えー!あいつが金メダルとるなんて思わない。運動神経もないし、えー!」と思ったでしょうね、特に高校・中学の人たちは。金メダル取りたいっていうのは言ってましたけど、まさか取るとは思わなかったと思うんです。

運動神経は本当になかった。それでいろんな人が、陸上やいろんなことを二年間でやってくれて。ご飯食べることから始まって、体力づくりもして。それまでは、全然握力もないし、脚力もない。だから私は、ほんとサイボーグ、作られた人間。もともと何でも出来た人間ではないと思います、私は。中学校の頃の先生や、高校の先生、若い時の監督なんていうのは、“まあ、頑張れば、いくだろうけども、今は、まだまだ”っていうのが評価だったと思う。だから、継続してやるっていうことがやっぱり大事なことだし、納得して「これをやんなきゃ金メダル取れないんだよ」って聞かされたときに、“あ、それをやらなきゃいけないんだ”って思えた監督と出会えたことが、私にとっての金メダル。

スポーツは一人ではやれない。なんでもそうですね、一人では出来ない。特に、バレーっていうのは、“あなたのために!”っていうのが見えてくる。そうすると、“あの人があそこまで頑張ってるんだったら私も50%の力しか今まで出してなかったけど60%で頑張ろう”って、それが60になって70になって80になっていって強くなる。実業団に入ってくる人たちは、ある程度神童って言われてきていた人なんです。 今までずーっと一番強い、巧いって言われて来たのが、実業団に入ったらもう順番つけられちゃうわけです。自分自身はずーっと一番だと思ってる。自分は「オリンピックに出て金メダル」なんて思っていたのに、入った途端に「マネージャーになりなさい」とか一気に格下げもありえるわけです。その落差にすごい悩む。そのときに、“だけど私は辞めない、バレーが好きだ。みんなのために私は、自分はアタック一本打つことはコートの中でできないかもしらないけど、勝つために私はなにが出来るんだろう”って、みんなみんな、考えたと思う。一人ひとりの気持ちがひとつにならないとオリンピック、特に団体競技っていうのは勝てないと思うんです。 一人だけではなく、その時その日に、女神と呼ばれる選手も現れる。私はやっぱり、“自分が一番いいトスを上げてもらうためにはどうしたらいいか”って考える。私が威張り散らして「私が打った、打つんだからあんたたち拾いなさいよ」「いいトス上げなさいよ」って言ってもそれでは絶対気持ちはひとつにならない。だったらどうするか考えて「いいボール欲しいよね、良いトス上げてほしいよね、だったらやっぱし、ヨイショも必要よね」っていうような話を仲間でしたりしました。
ほんとにバレーの肉体的なものは限界がある。だからちょっとした精神的なものなどで、どっちかと言えば自分が楽をするために、ちょっと工夫するとかそういう考え方が必要です。だって、自分の努力なんて100は100でしかない。120は出ない。だったら他の人の50を60にしたら、自分の負担は減る。だから、ずるいと言えばずるいかも知れないけど、その人たちにとってもものすごくいいことだと思いませんか?50だった人が60になるわけだから。だんだん評価されてきますよね?全体の力をあげていくことが大切なんですよね。

スポーツっていうのは肉体がついていかなくなったとき、それは引退を意味します。私は26で引退しました。世界選手権、ワールドカップ、オリンピックと三冠をとって、もう私の時代は終わっただろうと。自分の中で、オリンピックで金とるって言う目標がありましたから。その中でワールドカップや世界選手権があったんだっていうのは、あとからわかったことでしたから。もう充分やったからいいだろうと思いました。
やっぱりでも、26歳で世の中にポンっと出たときに、“さぁ何ができるんだろう?”って。それが一番問題でした。バレーというのは、組織の中でやればいいわけだから、言われた通りにやればよかったけど、今度は一人でどうやっていこう?と。引退してから気づいたんですよ。
ちょうど27歳のときに変な夢をみたんですよ。本当にどうしようって悩んでる時です。大海原の中でね、平泳ぎしてる夢をみたの、たった一人で。どうしよう。なんにもないの。それで起きちゃうんです。

次回は、引退した白井さんがNPOを立ち上げるまでの経緯をお送りします。




文字起こし:渡辺 桃子
編集:杉野 綾美

+ マイレポート + 屋久島一人旅から考える"環境×スポーツ"


メルマガ読者のみなさん、こんにちは!!
先日行われたSOJ夏合宿で副幹事(?)を務めました私、佐野裕文は8月21〜29日まで一人旅に行ってきました。

目的地は屋久島! そうです、日本で初めて世界自然遺産に登録された地です。
出発する前は「とにかく縄文杉が見てみたい!!」という一心で、下調べを一つもせずに始めた旅でした。

なにぶん貧乏学生ゆえに交通手段に飛行機など使いません。青春18切符を利用して東京→鹿児島間を鈍行列車で乗り継ぎ、鹿児島→屋久島間はフェリーで移動しました。移動は日数にして3日間、時間にして30時間かかりましたよ!

しかし、旅の疲れは屋久島に着いたら、どこかに吹っ飛んでしまいました。
緑あふれる山々、光を反射して輝くエメラルドブルーの海、雲の形すら美しく、抜けるような青空、綺麗すぎて魚が住めないくらい透明感のある川、落差88メートルの滝、天の川をはっきりと見ることのできる満天の星空・・・・。そして7200年という歳月を生き続けている縄文杉。それらのどれもが美しく、とても言葉でその美しさを表現することなどは出来ません。 ぜひ、みなさんも屋久島に行かれて、その圧倒的な自然の美しさを体感されることをオススメします!

私は屋久島で二泊三日したのですが、その最終日に海岸近くの林道(木々に囲まれた道)でサイクリングをしました。風を切る感覚を味わったかと思えば、あるいは、まるで風と同化していくかのような気持ちよさも感じました。また、川で泳ぐ機会もあって、身も心もリフレッシュ出来ました。

ここで、ふと気がついたことがあります。

これら全ての爽快感は屋久島がもたらしてくれている自然の恩恵によるものではないかと。そして、いつまでもこの気持ちのいい環境でサイクリングなどをしたいのならば、『自然環境を守りたい!』という思いと行動が不可欠だなとも思いました。

これはまさに環境×スポーツですよね。でも、特別なことをする必要もないのではないかと思います。山や海や川にごみを捨てない。自然を無闇に荒らすような振る舞いをしない。自分に出来るような、そういった当たり前のことをすればいいんです。

月並みな言い方ですが、自然環境に感謝することが大事だ、ということを身をもって体感できた旅でした。
ありがとう屋久島!また行ったときにも、美しい姿で迎えてほしいです。




佐野 裕文


+ マイレポート + 〜日本は不思議な国である〜

今年の夏は、「ハンカチ王子」が話題の中心だった。ふと、考えると、スポーツイヤーである年の中でも、野球の話題は多いものだ。やはり、WBC優勝という幸先のいいスタートから始まったことが大きい。プロ野球開幕後は、新庄のお立ち台での引退宣言、藤川が無失点投球回数の日本記録を更新、W杯に隠れてのジャイアンツ急降下。松井の骨折に、王監督が緊急入院、そして甲子園。良かれ、悪かれ、野球の話題がトップニュースの日が多いことは確かである。オリンピックでの不振に、W杯で早々に敗退したこと、競馬界では地味なニ冠馬というライバル不在。対抗できる話題といえば、亀田一家くらいであったことも幸運かもしれない。

しかし、このように野球を頻繁にニュースで取り上げる国は数少ない。競技人口の少ない理由は、“道具の多さ”と“ルールの難しさ”という要因。いくら、美辞麗句を並べても、素晴らしい映像を見せたとしても、野球が行われていない地域の人に興味を持ってもらうことは難しい。その分、日本では野球は浸透しているため、今まで興味がなかった人が興味を持つようになる、という地盤がある。

この夏は北海道へ行ってきた。どうしても行きたくて、汗水たらして行った『栗の樹ファーム』。行きたかったけど、電車から見るだけで終わってしまった『札幌ドーム』に『円山球場』。真っ暗な深夜に見た『スタルヒン球場』。偶然、電車から見えた多くの球場。苫小牧駅の特設スペースで応援する苫小牧市民。釧路の市場で、地元の人と一緒になって、駒大苫小牧のサヨナラ勝ちを喜ぶ観光客。テレビ中継を見ながら、愚痴る自分(笑)。いろいろな角度から「野球」を見られたと思う。町営球場のようなレベルでも、両翼100m、センター120mもある球場があったり、芝がすごくきれいな球場があったり。北海道だから出来るのかもしれないが、一人の野球小僧として、ここまで野球が人の心にあることはうれしいと思う。しかし、そんな中である疑問が吹き返してきた。


『なんで、自分も含めて、日本人って野球が好きになるのだろう』


これを初めて考えたのは、今年の春にある人から、『野球のどこが楽しいの』と言われた時である。自分の中では生活の一部、いや、人生の一部である野球を、どのように説明しようかと、悩んだものだ。その後、前述のある人が突然『野球って楽しいね』と言い出したから、さらに自分の疑問は迷宮入りに。今、一番思うことは「野球というスポーツの特性と日本人の深層心理みたいなのが、いい具合にマッチしているのではないか」と。これには、何の後ろ盾もない、勝手な空想。それでも、都合がいいことに、これから思想に関するゼミに入るもので、ちょうどいい課題が見つかった。すごく単純で、基本的な問い。しかし、そのような問いが一番難しいのであろう。この答えが見つけられた時、自分は野球ビジネスで大成功を収める、という夢物語を北海道の空に描いてきたことは言うまでもない。



西山 裕貴

+ Shino's Works + プロパガンダ

スポーツメディアという言葉を聞いて、何らかの違和感を覚えるのは私だけであろうか。

この言葉から連想するものは新聞、TV、ラジオ、雑誌、最近ではインターネットなどもその中の一つに当たるかもしれない。しかし、それらは元来、マスメディアという既成の括りの中で十分に住み分けされているものではなかろうか。

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