SEEDS-net vol.67
2006年12月18日発行
  

  SEEDS-net読者の皆さんこんにちは。何と意外なことに今号が今年最後のメールマガジンなんです! 一年って早いですね〜。特に充実してるとあっという間の過ぎ去ってしまいました。そう、なんと言ってもこのメールマガジンが私の生活を充実してくれたものです。充実は幸せをもたらしてくれました。皆さんは、どんなことで充実しているのでしょうか?

<もくじ>


++ ひとから見るスポーツ ++ 「Number」初代編集長・岡崎満義さんインタビュー
   

「人から見るスポーツ」岡崎満義さんインタビューの全 3 回中・第 2 回。いわずと知れた No.1 スポーツ総合誌『 Number 』の初代編集長です。
 
 前回は、岡崎さんの経歴を話していただいたところからスタート。文藝春秋での仕事をこなしているうちに「今までになかったスポーツ総合誌を創刊する」という話が舞い込んできた。編集長を任され「スポーツ総合誌の理念とは何だ?」という問いに悩みながらも、ついに見つけた“道義”という言葉。人間の“道義”が一番見えてくる雑誌にしよう、という理念の下、いよいよ『 Number 』の創刊準備が始まっていく。
  
 昭和 54 年の 9 月。翌年 4 月の『 Number 』創刊に向けて、本格的な準備に入った。どういう記事を作ろうか、と思考をめぐらせていた 11 月に、“あの”『江夏の 21 球』と出会った。その年の日本シリーズのカードは広島東洋カープ vs 近鉄バファローズ(当時)。 3 勝 3 敗で迎えた最終戦は先行の広島が 4 − 3 でリードしている、その 9 回裏の江夏豊の全ピッチング・人間味を綴ったものが『江夏の 21 球』だ。
  
 もっとも、『 Number 』創刊号の目玉となった山際淳司氏の作品が有名であるが、佐野正幸氏が書く『もうひとつの「江夏の 21 球」』(新風舎)や、『野球小僧No .4 』(白夜書房)にて広島の捕手である水沼四郎氏のインタビューもまた、違う視点で描かれていて、野球好きにはたまらなく、さまざまな“人間”が感じられるものだ。新しい雑誌の創刊を目の前にして、取り上げたかった江夏豊を中心に動いた面白いゲームと出会ったのは、もはや“運命”としか言いようがない。
 
  
 「江夏を取り上げようと思っていたんだけど、シーズンの奪三振の日本新記録を王さんから奪おうとしたら、勘違いでタイ記録を王さんから奪ってしまい、他の 8 人の打者から三振も点も取られない状況になってしまった時のエピソードも考えてはいたし、江夏の苦労物語なら何でもできると思っていた。
  
 でも、面白い日本シリーズが頭に残っていて。江夏の投球技術の全ては、あの 9 回裏に入っているんじゃないか? ということにして、一球一球を小学生みたいに聞いていったね。『なぜ、初球はど真ん中の真っ直ぐなんですか? 何を考えていましたか』とね。とにかく何でも聞いてみようと思った。そうしたら、山際淳司さんが立候補してきて。山際さんはスポーツの知識はゼロで、やったこともない。『そんな人に大事なものを任せてもいいのか?』と思ったけど、基本的に取材が上手くいったものをそのまま文章にすれば、イイものが出来る。私も一緒に行くわけだし。良い文章を書ける人だとは知っていたから、その辺は安心してたよ」

 
  
 江夏豊といえば、一匹狼のオーラを発する傲慢な男だ。「そんな難しい取材を江夏がしてくれるわけ無い」と笑われたこともある。そのような逆境を跳ね返して、取材は岡崎さんの想定していた以上に成功し、そして『江夏の 21 球』は完成した。「この成功は、素人が素直に聞いていったことが一番」と岡崎さんは振り返る。
 
  
 「『いけた!』と思ったのが、先頭打者の羽田が初球をヒットにした場面があって、『なんで初球を真ん中の直球なんですか?』と聞いたら、それを江夏は『あいつはアホやから打たれた』といきなり言ったんだよ。『負けている 9 回にトップバッターはどうしても塁に出たいんだ。フォアボールでもなんだっていいんだから、見てくるはず。でも、それを打つのはアホしかいない。絶対に打つことは無いから、それで真ん中に投げたら、セオリーも知らないから打たれた』とね。
  
 これを聞いた時に、
『上手くいくな』と確信したね。本当にピッチャーは記憶力がイイ。ピッチャーは打たれた前の球を覚えているし、丹念に記憶しているんだ。そして、一球一球を聞いているうちに、衣笠(祥雄)と話をする場面(絶対的抑えだった江夏に、満塁になった時点で、広島の古葉監督が二人の投手をブルペンで準備をさせた。それを見た江夏は、ベンチから信頼されてないと憤慨していた場面)になった。一回目は『絶対に話さない』と江夏に言われたけど、二回目に見てもらった時に話してくれたのが、怒り心頭のところに一番仲の良い衣笠が来て、『お前(江夏)が辞める時は俺も一緒にユニフォームを脱ぐぞ』と言ってくれた。江夏はそれを粋に感じて気を取り直して投げた、という話までしてくれたから、『もう完璧だ!』と思ったね。
  
 これまで、狙い通りに、いや、狙った以上に取材が出来た、ってことは少ない。やっぱり、聞いてもらいたいことは誰にでもある。きっと、江夏自身もあのシーンは自分の集大成的なものが心にあったんだ。それをこっちが素直に聞きに行ったのが、見事にスイートスポットに当たった。こんなことは滅多にないことだよ」

 
  


「 63 球? 45 球? そんなバカな!」という歴史的創刊号メモ
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 江夏と比較しても劣らないくらい難しい男である落合博満のスイートスポットは「バッターボックスに入る前に相手キャッチャーのお尻を触る」ことであった。これを発見したのはオールスター戦のときで、キャッチャーは梨田(当時・近鉄バファローズ)であった。
  
 岡崎さんが、この話に触れた時の、ハッ! とした落合の顔が印象的だという。インタビュアーとしては「この男はそこまで見ててくれたのか」と思わせて、ある種の信頼感を生みださなくてはならない。「今は、インタビュアーが実にひどい」と嘆いていた岡崎さんの顔が、私としては印象的だった。
  
 『江夏の 21 球』の特集で無事に創刊された『 Number 』。「次はスポーツ総合誌が来る!」と考えていたものの、予想していた売れ行きには届かなかった。一般的に雑誌は、創刊 3 ヶ月目が勝負であると言われている。力のある雑誌は、そこから伸びていくのだが、ダメな雑誌は、そこからさらに落ちていく。
    
 「第 8 号あたりで、上昇気流に乗らないといけないんだけど、これが最悪で。私のクビが近いな」と岡崎さんは思っていた。第 8 号は日本の参加しないモスクワオリンピックを特集した影響で、売り上げは最低を記録するも、ドーピングとアル・オーター( 1956 年のメルボルンオリンピックから 1968 年のメキシコシティオリンピックまで円盤投げで五輪四連覇を成し遂げた超人選手)の中年魂の記事に、岡崎さん自身は手ごたえをつかんでいた。そして『 Number 』が今日のような地位を確立したのは、長嶋茂雄のおかげである。
 
  
 「 10 号で長嶋特集号を出しまして、発売 3 時間で全国の本屋さんから姿を消したという話がありました。これで一つ、市民権を得て、『 Number 』の知名度が上がったね。あと、これで『表紙にどんな写真をもってくればいいか』が分かった。長嶋のヘルメットが飛んでいるでしょ? サンケイスポーツのカメラマンの遠藤さんが撮って、一番好きな写真だけど、サンケイスポーツの編集部が使わなくてね。私も何百枚と見たなかで、モノクロだけど、この長嶋の迫力が圧倒的だった。使わないのを不思議に思って、遠藤さんに聞いてみたら、『編集部は長嶋が空振りする写真は大スランプの時しか使えない』って言うんだ。
  
 スポーツ新聞の写真はアリバイ作りなんだよ。例えば王の 756 号にしても、王がどんな選手かを表すのではなくて、王がこういう記録を作った、というアリバイ作りのための説明写真なんだ。だから、長嶋が空振りをする写真は使わない。ところが雑誌は、“人間・長嶋茂雄”を一番表している写真を使えばいいんだ。そこで、スポーツ新聞と雑誌の違いが実感できて、そこからは雑誌が作りやすくなり、『 Number 』の味を出していけるようになったね」

 
  

  
 長嶋号以降は、順調に売れていく。「スポーツ総合誌」という新しいジャンルの強みを生かして、思いつくことは何でも企画した。今になっては、岡崎さんも「よくこんなバカなことやってるな」と感じるほど、“冒険”をしていた雑誌だった。そんな『 Number 』であったが、今や“冒険”が出来なくなってしまった。
  
 それは、売れて大きくなってしまったことの弊害である。『 Number 』が『週刊文春』、『月刊文藝文春』と並んだ三本柱の一つに成長したからには、儲けなくてはならない。そうだ、雑誌は売らなくてはならないものだ。しかし、「儲けなくてはならない」という危機があるからこそ、ここまで洗練された雑誌になったこと、ここまで人気を支えてきた『 Number 』を発刊してきた方々の苦労を忘れてはならない。
 
  
 「模索段階は何でも新しいことしかない。模範・お手本が無いわけだから、一号一号に開拓していく楽しさがありました。今の『 Number 』の楽しさと、我々がやっていた時の楽しさは、ぜんぜん違う種類。今は、写真は良くなっているし、全体的にスマートになってるけど、サッカーサッカーしている。それは、状況に合わせて、『何をすれば売れるか?』ということを考えているから。イイ雑誌を作らなきゃいけないけど、人の見方によってイイ雑誌の基準は違う。ただ、一生懸命、売りたくて作っている点は一緒かな。雑誌は売って、続ける事が大事なんだ。そこも新聞と違うところだね。新聞記者と雑誌記者の一番の違いは、企画を立てて、何部刷るか、という会議が毎号毎号にある。『これまでの売れ行きがこうで、これに似たテーマでこれだけ売れている。だから、このテーマにすれば、これだけ売れるだろう』というような会議で、一号ごとに何十何万何千何百何十何部という数字まで出てくる。新聞記者は特ダネを取れば、それで良くて、自分の新聞がどれだけ売れているかなんて分からない。新聞は売れなくても無くならないでしょ。それが良いか悪いかは別にしてね。
  
 でも、雑誌記者は『どのくらい売れているか』っていう数字がいつもある。そういう意味では、今の編集部は、すごいがんばっていて、むしろ、私なんかよりも苦労は多くて気の毒かもしれないね。売れるものを作らないとしょうがないから。スポーツは、いろいろ盛んになっているように見えているけど、雑誌という媒体では上手く結びついていない。雑誌全体の売り上げは 10 年くらいずっと落ちていて、スポーツも一般誌も同じ。インターネット・携帯電話という部分で、時間もお金も食われていて、これに対抗しないといけない。だから、今の長く続かせる編集長は大変なんだ。私は創刊雑誌の編集長になりましたけど、こちらは運が必要。たまたま創刊しようとする、その時期に年齢的にちょうど適した私がいました。金脈はここで一つ掘り当てましたね」

 
  
 次回はいよいよ最終回です。岡崎さんが、一人のスポーツライターとして思うこと、大切にしていること、そして、伝えたいことを語っていただきました。お楽しみに☆☆☆
    
  
 【プロフィール】
 岡崎満義(おかざき みつよし)
 ジャーナリスト
 元文藝春秋取締役/「 Sports Graphic Number 」初代編集長
  
 1936 年鳥取県生まれ。
 1960 年京都大学文学部哲学科卒業。同年、株式会社文藝春秋入社。
 1979 年新雑誌編集長(部長)となり、スポーツ専門誌「 Sports Graphic Number 」初代編集長として活躍。
 1982 年には「文藝春秋」第 23 代編集長に就任。
 1990 年編集委員長兼広告企画センター局長
 1993 年取締役(編集委員長兼企画センター局長兼社長室長)
 1995 年取締役(編集委員室総局長・編集委員長・企画センター局長)
 1996 年取締役(編集総局長兼編集委員長)などを歴任
 1999 年にリタイアするが、執筆・講演活動等にて現在も第一線で活躍する。
 2000 年度より、ミズノ・スポーツライター賞選考委員長。
  
 ■著書「長島茂雄はユニフォームを着たターザンである」(大和書房)「豪球列伝」「豪打列伝」「助っ人列伝」「暴れん坊列伝」「巧守巧走列伝」「魔球列伝」(文春ビジュアル文庫)「『文藝春秋』にみるスポーツ昭和史」全 3 巻「思い出の作家たち」 1 ・ 2  他多数
(以上、スポーツアドバンテージ・ホームページより抜粋)


文字起こし・編集 西山 裕貴


+ マイレポート +  第 3 代幹事長の備忘録
  SOJ幹事長「だった」高橋丞二です。

  12 月 14 日の全体ミーティングで幹事長の引継ぎを済ませ、引退ということになりました。「幹事長の 1 年間を振り返る」というテーマを与えられ、今せっせとキーボードを叩いている次第でございます。


  新入生歓迎を経て、メンバー数は総勢 40 名を超えました。SOJの初期、 4 名でミーティングを開いていた時代を知る自分としては信じられない数字です。ヒルマン監督とは「シンジラレナーイ討論会」を開き、一杯飲みたい気分です。
  そして、認知度の高まりも感じられるようになりました。「所沢にとんでもないヤツらがいる。」との噂を聞きつけメンバーになった新入生がいたり、初めて会う人がSOJの事を知っているという場面に出くわしたり。
  きっと来年にはヒルマン監督の耳にも届くことでしょう。
  
  「つながり作りを掲げてスポーツ界、一般社会に向けてメッセージを発信して来た」今まで。そしてこれからは「ネットワークが成熟して、ネットワークをいかに活かすのか」という新しい段階にSOJは入ってきているなぁと感じます。
  大学間の連携も構築され、スポーツビジネスを学ぶ学生同士のコミュニケーションも活発になりました。
  SOJの評判を聞きつけ、企画を持ち込んでくることも多くなりました。期待に応えられないこともありましたが、 12 月 24 日に行われる「地雷除去&環境保全体験型フットサルイベント」の共催など、ネットワークがリアルな現実になることを実感しました。


  ネットワークを生かし、読者の皆さんに少しでもスポーツの楽しみやスポーツを考える機会を提供する。
  ネットワークを生かし、スポーツ界が抱える未成熟な仕組みを1つずつ作り上げていく。
  SOJの MISSION である「スポーツ文化を変革する」方法論が、本当に出来うることなのだと感じられた有意義な 1 年間でした。
  
  最後に個人的なことを。
  

「『 さよなら』を言うことは少しだけ死ぬことだ」


  そんな言葉を何かの本で読んだことがあるけど、本当にそんな感じですね。
  3 年間。多くの時間、多くの仲間と共に過ごしたSOJからの引退。
  寂しさというか、ちょっとした喪失感みたいなものを感じています。


  とはいえ、SOJの真価はこれから。引退したメンバーが社会に出て、スポーツ文化の創造にいかに寄与できるか。SOJが問われるところであり、自分自身のテーマでもあります。
  
  さて、死ぬのは少しだけにして、次なる一歩を踏み出しますか。
  

SOJ第 3 期 幹事長  高橋丞二

+ Shino's Works + 60億の男は何に魅せられたのか
  “元”という言葉を付けなければならない事実は、楽しみな半分、寂しさ半分というとこだろうか。

 元西武ライオンズの松坂大輔投手は、

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